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ペットボトルだけではない

牛乳パックを例にとって、このような問題提起をしている。牛乳パックをリサイクルして再利用がパルプ節約になり、森林資源保護につながるからというのがこのリサイクルの動機であろう。しかし、それは認識の基本的な誤りであるというのが、槌田氏の主張なのである。 牛乳パックをリサイクルして、仮にトイレットペーパーを作るとする。すると、これまた、トイレットペーパーを新しく作るよりも高くなってしまう。市民グループから引き取った牛乳パックが、それを原料にトイレットペーパーを作る工場に山積みにされていたという光景が見られた。それは、こうして作るトイレットペーパーが売れないからだ。 それを尻目に、“リサイクル運動”はますます過熱する。学校で牛乳パックの一斉回収を行えば、子どもたちはこぞってパックを持ってくる。それが高じて、親たちも一つでも多くとばかりわが子に持たせるため、飲みたくない牛乳まで買う。そんな笑い話めいたエピソードまで現出したようだ。 これでは、やはり、資源の節約どころか、それを目指す“リサイクル運動”が図らずも資源の浪費、つまり、不要なまでの消費をあおっていることになる。 こうした市民的レベルでの回収運動が、もう一つの弊害を心ならずも生んでしまうという点も見逃せない。それは、民間の回収業者を圧迫し、やがて駆逐してしまうということだ。営利で行っている業界に、損得抜きの人たちが参入してきたら、それは当然の帰結であろう。かくて、古紙回収業者は廃業し、次第に姿を消していく。 それがどういう結果を招くか。これまでにせっかくあったリサイクルの仕組みすらを壊してしまうということである。それも現に、あちこちで起きているという。 牛乳パックから再生のトイレットペーパーを作る業者が、リサイクル運動に協力する地方自治体に営業をかけたという記事も新聞に出た。そういうものがよそでは売れないからに他ならない。パルプ原料から作られたトイレットペーパーはおろか、他の古紙から再生されたものよりも、パックからの再生品は高くつくのだ。そういうものを求める人がいないのは当然だろう。従来古紙100%のトイレットペーパーを使ってきた自治体としては、これにはいささか頭を抱えた様子だ。 パックからの再生品がパルプ原料の新品に取って代わる状況には程遠く、それよりも起こるとすれば、これと他の古紙からの再生品の競合だろう。すると、他のリサイクル品を圧迫する。これでは、何のための牛乳パック・リサイクルかわからなくなる。

 

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