ブログ

江戸時代はリサイクル社会だった

ごみのリサイクルについては、江戸時代が良く引き合いに出されますが、それもそのはず、江戸の町には、さまざまなごみが回収され、蘇らせるリサイクル社会が出来あがっていたのです。江戸の町は、江戸中から紙クズや金物クズ、生ごみから落ち葉まであらゆる「クズ」が拾い集められ、クズ寄せ場で種類別に分別され、それぞれの専門業者がお金を払って引き取り、再生紙や新しい金物、堆肥になっていました。そのお陰で、江戸の町は、ごみの落ちていないきれいな町でした。集められた紙クズで作られた再生紙は、「浅草紙」といわれ江戸の名産品でした。紙を漉き返し、再生紙を作る「紙漉町」が浅草寺に近いところにあったことが名前の由来ですが、もとは、浅草寺近くの農家の副業としてはじめられたものでした。この「浅草紙」は「冷やかし」という言葉に深い関係があります。紙を漉く職人が、紙クズを水に浸けておくことを「冷やかし」と呼んでいましたが、その間は暇であったので、時間つぶしのために、近くにあった江戸の歓楽街の吉原に出掛け、ただ見て歩いていたことから、買う気もないのにただ見てまわったり、値段を聞くことを「冷やかす」というようになり、やがて「からかう」という意味にも使われるようになったようです。昔の再生紙は、紙クズを水の中に入れ、ドロドロにしたものを漉き返していたので、墨が除かれることもなく、ねずみ色をしていました。今の再生紙は、溶かした紙液の中に洗剤を加え、インクを洗い落とし、漂白をしています。技術の向上で、今の再生紙は、色も白く、バージンパルプの紙と変わりありません。ものを大切に使っていた江戸時代は、「修理」や「再生」の専門の職人がおりました。古い鍋や釜などの穴の修理を行う金属製品修理の「いかけ屋」、割れてしまった陶磁器を修理する瀬戸物の「焼き接ぎ屋」、木製の桶や樽の箍(たが)を修理する「箍屋」、包丁などの刃物を研ぐ「研ぎ屋」など、それぞれの分野のプロが、技を冴えわたらせる町でした。時代劇を見ていると、長屋に住む浪人侍が傘を貼っている場面をよく目にしますが、竹と紙で出来ていた傘は、当然リサイクルの対象でした。「古骨買い」が買い集めた古い傘を「古傘問屋」が買い、油紙(油を塗って紙に防水加工したもの)を剥がして、新しい油紙に張り替えて「張替傘」として売っていました。なんと、広い面積のままきれいに剥がせた油紙は、天ぷらなどを包む包装紙として売られていたといいますから、そのリサイクル力は逞しいものがあります。古着屋は現代でもよく見かけますが、江戸庶民にとって古着屋はとても身近な存在でした。手織でしか生産されない布は、とても貴重品でしたので、新調する人はごく一部のお金持ちの人。庶民のほとんどは古着屋で着物を調達していました。その着物が古くなれば、子供用に作り直す、おしめや雑巾にする、ハギレは端切れ屋に売るなどというように再利用されました。一反の布を直線で裁っていく和服は、ほどきなおして作り直すといったことができるリサイクルにはうってつけの着物だったのです。和服の洗い張り(縫いを解いて洗い仕立て直す)や染め直しといった技術は、伝統として現代にも受け継がれています。

 

関連記事

ページ上部へ戻る