ブログ

江戸時代のリサイクル

「江戸時代はリサイクルが発展していた社会 であった」とよくいわれます。例えば、江戸で 集められた糞 ふん尿 にょうが江戸近郊の農家で堆 たい肥 ひ として 使用され、そこで栽培された野菜がまた江戸で 販売されていたことや、使い古した藁 わら草 ぞう履 り は、 肥料の原料とされていたことなど、物を無駄な く使用し、ごみの排出が少なかった点が注目さ れています。また、質屋や古着屋といった現在 のリユースショップは「八 はっ品 ぴん商 あきない」といわれ、商 売として成立していました。嘉永5(1852)年 の江戸の八品商人の数は、12,615人*5という 規模でした。ちなみに江戸時代の特徴的なリユー スショップとして、「 献 けん残 ざん屋 や 」というものがあり ました。これは、幕府への献上品の残りや払い 下げ品を引き取り、販売したり、再生したりして、再び贈答品としてよみがえらせる業者のこ とです。例えば、参勤交代の大名が将軍に献上 する品物、武家相互での贈答品、出入りの承認 を得るために行う武家屋敷や役所への付け届 け、あるいは火事や雷の見舞い品などが取り扱 われていました。 このように循環型社会のお手本として紹介さ れることが多い江戸時代ですが、ごみ問題がな かったわけではありません。江戸は、各藩から 単身赴任者が集まり、藩邸で暮らしながら江戸 城へのお城勤めを行う一大単身赴任都市だった ため消費型の都市でした。家庭や飲食店から出 るごみの排出量も多いため、すべてが田畑に肥 料として使用されるわけではなく、空き地や河 岸地、川や下水などに適当に廃棄されていまし た。当然、処分場として管理されていたわけで はないのでごみがあふれかえり、新たにごみの 集積場所を設けるなど、現在の行政である町奉 行所が対策に乗り出しています。また、不法投 棄が顕在化して町奉行所とのいたちごっこが続 き、それは現在でも不法投棄問題の解決が難し いのと同様に、当時でも手を焼いていました。江戸時代の日本全体をみると、そのほとんど が第一次産業であったこと、プラスチックのよ うな石油化学製品が使用されていなかったこと から、物を再生しやすい環境でした。また、大 量生産ではない時代ですので、物自体に希少性 があり、リユースが当たり前であったという背 景からも、循環型社会が成立していたことは確 かでしょう。しかし、人口が集中している都市 (消費)型の社会では、現在と同様に循環しきれ ず、廃棄物問題があったことも事実です。 以上のようにごみの問題が顕在化するときと いうのは、人口が増加したり、経済が成長する といった社会変化が起こった際に、処理しきれ ずあふれかえった状態が社会問題として認識さ れたときです。しかし、本来ごみというのは、 生活の中で日常的に発生するものですので、問 題が顕在化する前に、日々の管理や発生抑制に 努めることが重要です。

関連記事

ページ上部へ戻る