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プラスチックそのものに起因する問題

1960 年代から 70 年代にかけて、主に最終処分場における悪臭・水質汚染・害獣による 食害などの問題から、「ごみ戦争」と呼ばれる住民との紛争が各地で発生した。その際たるものが東京ごみ戦争である。それまでのごみ処理は、基本的に集めたものを最終処分場に直接廃棄するという方法が主流であり、今日主流である焼却処理はごく一部で行われているに過ぎなかった。そのため、排出されたごみの中の厨芥などが腐敗することによって悪臭が発生したり、それを餌にして蝿が大発生したり、また、最終処分場付近の中小河川や水源などを汚染したりもした。さらに、最終処分場が作られる地域は比較的人口の少ない山間地域などが利用されることが多く、最終処分場の厨芥などをあさる害獣が付近の農地 に被害を及ぼすということもしばしば起こったのである。  そのような状況に対応するため、多くの自治体は焼却という方法を選択した。生ごみ中 心の組成であった 70 年代の状況においては、焼却処理は衛生的にごみを処理できる上に大 幅な減容が可能であるという一石二鳥の優れた処理方法であった。  しかしながら、理想的な廃棄物処理技術と思われた焼却も、ごみ組成のありようによっては必ずしも適切な方法ではないことが明らかになっていく。高度経済成長とともに、日 本でもプラスチックの使用量が急速に増加していったわけだが、1972 年、東京都清掃局は、 日常生活に多用されはじめていたポリ塩化ビニルなどを焼却する際に、高濃度の塩化水素が発生することによって焼却炉が傷むこと、また、焼却炉周辺の大気環境にも悪影響を及 ぼす可能性があることを報告している。日本で焼却処理が積極的に導入されていった 70 年代後半、ヨーロッパにおいては廃棄物 の焼却処理過程においてダイオキシンが発生することが報告され、焼却処理に対する警鐘が鳴らされることとなった。これにしたがって、多くのヨーロッパ諸国は焼却による廃棄 物問題解決を断念するにいたった2。その一方で、日本では、産業廃棄物も含めて焼却施設 の建設が進み、ピーク時には大小 1 万基を超える焼却施設が稼動していた。その日本でも、 所沢や能勢町でのダイオキシン騒動をきっかけに、ようやく 90 年代に入って廃棄物の焼却 にともなうダイオキシンの発生が社会問題化した。ダイオキシンの発生は焼却炉の高度化によって防ぐことが可能であるといわれているが、それにかかる費用は非常に高く、厚生省によって作成された新たな基準をクリアすることが難しい一部の自治体では、焼却炉を廃止せざるを得ない状況に追い込まれている。ダイオキシン発生のメカニズムは完全に解明されたわけではないようだが、ポリ塩化ビニルなど、塩素を含んだプラスチックを焼却 することによるというのが一般的である。

 

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