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「リサイクル」の言葉の始まり

今や日本では知らない人がいないほどに定着 した「リサイクル」という言葉ですが、この概念 や意識が導入された歴史はそう古くはありませ ん。高度経済成長期に起こったオイルショック の翌年、1974年に元東大教授の糸川博士が市 民活動団体に「リサイクル運動市民の会」という 名前を付けたことが発祥といわれています。 日本語では適切な言葉がなく、リサイクルとい う言葉は今後、誰にでも分かるようになると断 言して導入されたということです。 こうした「リサイクル運動市民の会」は1980 年代には関西や名古屋、沖縄など全国のあちこ ちで誕生してきます。その背景には、廃棄物問題 が顕在化した経緯があります。高度経済成長に 伴って生産が効率化され、大量生産によって製 品価格が下がり、大量消費が可能になりました。 国民の所得も右肩上がりでしたので、年々その 消費に伴う廃棄物の排出量は増加の一途でした。急激な廃棄物の増加は、処理能力や処分場の 容量を超えて、廃棄物があふれかえってしまい ます。人口の多い東京や大阪などの大都市では、 最終処分場の建設をめぐって住民と行政の激しい対立や処分場近辺の環境悪化などが出現し、 大きく社会問題化しました。特に処分場近辺の 環境悪化はすさまじく、1965年、東京都の最終 処分場である「夢の島」では大量のハエが発生し、 風に乗って住宅地をハエの大群が襲うという事 件が発生しています。当時は収集した廃棄物 を焼却せずに埋め立てていたため、生ごみなど が発酵分解を続け、悪臭や害虫の温床となって いたのです。ハエについては都の消毒作業では 追いつかず、警察や自衛隊が出動し処分場自体 を焼き払う焦土作戦という対応で何とかおさま りましたが、その深刻さが分かる事例です。 ちなみに、最終処分場といったいわゆる迷惑 施設の建設反対運動は、NIMBY問題といい、 「Not In My Back Yard」つまり、必要な施設 だとは分かっていても、自分の裏庭に建設され るのは反対であるというある種の矛盾状態のこ とを指します。現在でもNIMBY問題は、一般 廃棄物の最終処分場問題だけでなく、放射性廃 棄物の処分場確保においても大きな課題であり、解決が難しい問題として存在しています。 以上のように、日本は、戦後の高度経済成長 の結果、大量生産、大量消費、大量廃棄社会を経 験し、その結果深刻な廃棄物問題と直面してき ました。その問題を解決するために、国民は、全 国各地でリサイクルの市民運動や、フリーマー ケットを開催したり、分別排出を促進したりな ど地道な活動を行ってきました。それを追うよ うに循環型社会形成推進基本法を始めとする廃 棄物循環政策に関する国の法整備も進み、容器 包装リサイクル法や家電リサイクル法と いった各種リサイクル法が成立しました。国の 循環政策の社会基盤が整えられたのは2000年 のことですので、日本は、戦後、廃棄物の問題 発生から実に30年にわたって廃棄物と戦って きたことになります。現在では、どこの自治体 においても原則的に分別の徹底が図られるよう になり、リサイクルという言葉も当たり前とな りましたが、これまでの壮絶なごみの歴史を忘 れてはいけないと思います。

 

 

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